カテゴリー: 月例坐禅会
慈眼院の月例坐禅会へ行く
9月14日、月例の坐禅会へ参加する。きょうは5名の参加者だ。初めて参加される方がいるので、坐禅法を説明する。台風18号が接近している。その影響で南東風となっているから、とても蒸し暑い。3炷終わって、ほっとする。
書院には、いつも花が入れてある。宗旦むくげ、秋海棠、金水引、それに矢筈ススキの秋草が、涼しげだ。用意していたブッダ最後の言葉は、出すチャンスがなかったので、次回にしよう。
8月の月例坐禅会
自動車の中で作務衣に着替えて、本堂に向かう。上がり框には、蚊取り線香が置いてある。今回は7名の参加者だ。
坐禅の最中は暑さも忘れているが、終わった途端にぶりかえす。これでは坐禅がその時限りで、役に立っていないではないか。ふと思いついたが、すぐに忘れる。
書院に移り、南寿明和尚様と一緒に懇談する。初めての参加者が居られたので、一人ずつ自己紹介し、自分の考えを述べる。リラックス、リセット、仏弟子と、それぞれに違うので、面白い。
6月1日の月例坐禅会
開始時刻が迫っていたが、手洗いに行ってから道場へ入る。始めての参加者がおられたので、坐禅のやり方を一渡り説明する。日が長いので、道場内はまだ薄明るい。
いつの間にか三炷が終わる。本堂から書院へ渡る廊下の下は、鎌倉時代の遺構に水が流れている。ホタルだ。皆でみとれてしまい、しばらくたたずむ。
書院で茶菓をいただきながら和尚様も加わっていただき、清談する。大山蓮華が一輪、まだ残っているとのことだ。近づけば高貴な香りが、漂ってくる。庭前の沙羅双樹にも、つぼみが付いている。苔の上に落ちた白い花が、見事だそうだ。「見ごろになればメールをしましょう」 待ち遠しい。
4月27日の月例坐禅会
穏やかな夕方だ。慈眼院の駐車場には、白と薄紫の芝桜が咲いている。
障子を開けて本堂へ入ると、もうすでに香が焚かれている。2回欠席したので、久しぶりだ。今日は初めての方が2名参加された。参加者の5名が3炷の坐禅を終えた。2時間がいつの間にか経過している。南寿明和尚さまに終了の報告をし、書院へ移る。お茶とお菓子の用意が調っている。和尚様のお話を聞かせて頂き、お茶を飲みながら清談する。私にとっては、ストレス解消のために、この上ない機会だ。
5月の坐禅会は、こちらをクリックして頂きたい。
凍り付く中での月例坐禅会
こんなに寒い日には、誰も参加者はいないに違いない。しかし慈眼院には、すでに参加者が待っておられた。私も入れて、5人だ。
本堂には座布団が並べられている。先に着いた人が、並べてくれたのだろう。靴下を脱いで、座布団に坐る。寒さのせいか、眠気には襲われない。いつの間にか3炷が過ぎた。
「さあ、暖まって下さいね」。和尚様は、書院で熱い生姜糖を入れて下さった。暖まったところで、意見交換を行う。「こんな寒い中で、なんで坐禅をするのだろう」。一人ずつ、理由が違うのでおもしろい。
生きているから悩みがあり、苦しみもある。苦しみがあるから楽しいこともある。私にとっては、そのバランスをとるために、坐禅は大切な作業だ。
帰るときに和尚様から、皆にお菓子を頂く。
来月の坐禅会は第3土曜日の16日に決まる。今日よりはもっと寒いだろう。
12月8日の月例坐禅会
きのうは、嵐だった。大阪湾では西風が15m以上吹いている。海上は白波だらけだ。時折あられまで降ってくる。練習に出ていったヨットも、すぐに帰ってきた。
仕事を終えてから慈眼院へ行く。入り口を開け放して堂内へ入る。この寒さでは、私一人に違いない。一人坐禅も楽しみだ。慈眼院で坐禅をさせて頂くようになって、15年はたつ。初めの一、二年は一人で坐るときが多かった。これまで参加された人たちを思い出しながら、座布団を並べる。しかし定刻の1830時になると、いつもの方々が3名入ってこられた。なんだかほっとする。
坐禅が終わり、書院へ集まる。部屋は石油ストーブで暖かい。事前に火を付けて頂いていたのに違いない。嬉しいことだ。南寿明和尚様から、修業時代の話を聞く。高野山の冬は、零下10度になるときもあったそうだ。「そこにいると、なれますよ」。軽い一言だが、その意味は重い。修行は、その現場で実地に練習することだ。零下10度下で坐禅すればどうなるのだろう。修行にはゴールとプログラムがあるからこそ、苦痛も耐えられるし、練習にもなる。限界も広げていけるのだ。ヨットの練習も同じだ。楽をするだけでは、身につかないと言うことか。