ヨットZen15・ディンギー

海で生き残る条件(2)

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ヨットを自作建造する海外日本人  横山 晃 月刊舵誌1983年11月号横山 晃

① 舶検に合格する。
② 操縦免許を持つ。
③ ディンギーならライフ・ジャケット、少し大型の艇ならハーネス、無電、ライフラフトなど の安全備品を整備する。
④ 荒々しい海には行かない、シケてる時には出港しない。
⑤ 不沈不転のフネを買う。
⑥ 水泳を習っておく。
⑦ 冒険など、やらない。

これはごく普通の教訓なのだが、「これだけ条件が揃えば、死ぬ筈がない」・・・などと思うの は、大間違いだ、ということを前号に書いた。
それよりも、
①② 船検、免許を当てにしないこと。すなわち、船検、免許とのつき合いは、法治国の国民と しての国家への奉仕だけに留め、「免許を持てば安全」などの期待は一切持たないこと。
③ 安全備品は、珍しがって買い込んだり借り集めたりして検査に備えるようなレベルから一日 も早く抜け出して、毎月1品ずつ生活用品に追加して組み込んでいくこと。それには日頃か ら、危険な海で長時間を過ごす生活を持つこと。不慣れな外来者や幼少者や女性には、ジャケットやハーネスを強制着用させる見識と権力を持つこと。
④ 荒々しい海に立ち向かうシーマンであること。シケの中でも戦えるシーマンであること。
⑤ フネの選択と使い方には、自分自身が全責任を負うこと。すなわち、メーカーに責任を負わ せようなどと思わないこと。
⑥ たとえ水泳の達人でも,スタミナの持続が必要な場面では泳がないこと。同様に、たとえチン起こしと再帆走の名人でも、危険な海では絶対にチンしないこと。―――それは可能だ!!
⑦ 冒険航海の達人になること。
・・・などと、冒頭の条件とは逆向きの姿勢の方が、生き残りに役立つのである。

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「長時間帆走」という練習法
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サバイバル(生き残り)も技術なのだから、レース技術と同様に練習が必要なのは言うまでも ない、私がトライした色々な練習法の中で、「長時間帆走」という練習法が,最高にサバイバル・テクニックに役立った。
面白いことに、この練習でサバイバルが身につくと、同時に「レースにも強くなる」という副作用を伴うのが通例である。ところがレース志向の練習が目標に達しても、「サバイバル能力の 向上」という副作用は無い。
だから私は、「サバイバル志向が根本であって、レース志向は末梢である!!」と信じて疑わな い。
長時間帆走という練習は、生活習慣とセンスを開発する練習であって、筋肉や神経のトレーニ ングではない。
その習慣とセンスのお手本は、昆虫や野鳥であって、人間ではない。すなわち、その生活革命 に、本来の人間が持っていた野性を奪い続けて退化させた物質文明に、背を向けることから始まる。
修行の第一歩はガソリンや軽油で走らずに、風だけで走ること―――エンジンを使わずに帆を 使い、人間の帆走センスに頼ること―――なのである。ということは「帆走スポーツの本来の目的は、人間の野性的センスを呼び戻すための修業だった」という着眼の再発見である。
昆虫や野鳥は、物事を頭で論理的に判断するのでなく、体中のセンスで判断しているに違いな い。たぶん彼らは、行きたい方向へ行くだけ、やりたくないことはやらないだけ。
例えば「カラスは、啼きたいから啼く」 という方式なのだろう。それでも、弱者の彼らが、 この荒々しい大自然と強者が横行する場所で、何千年も何万年も滅亡せずに存在し続けた事実に、 私たちは謙虚に脱帽して、見習いたいと願った。
その発想で私が、海猫や海鵜の幼烏が、巣立ちの頃に経験するだろうところの行動を想像しな がら、マネし始めたのが「長時間帆走」という練習方法だった。
海猫や海鵜が10 日や20 日で卒業する修業でも、超能力を忘却した都会人の私が毎週1~2 日 のペースでやるならば、1年や3年を要しても致し方ない。それでもなお、休日の総ての時間と 全力を投入して、達成できたら望外の成功と思わねばならなかった。

フネを手に入れたら、毎週1日でも2日でも、早朝の日の出の頃から日暮れの時間まで、晴れても曇っても小雨でも、無風でも強風でも、暴風や大雨でない限りは、夏でも秋でも真冬でも、 弁当と水筒を持って、1人で乗り続ける。
ナゼ早朝から? といえば理由は2つある。第1には、日曜など休日は家中がノンビリして、 朝食時刻が2~3時間も遅かったり、色々なつき合いがあったりして、普通のサラリーマン習慣 でいると出港は正午近くになりやすい。
たとえ特別の努力で時間を繰り上げても、出港直後に8時か9時の朝凪に捕まって、走るに走 れず、面白くない。それよりも、ひと思いに「釣師並み」――それは古来の、磯の漁民に仲間入 りすることでもある――という志向なら、早朝の陸軟風(出し風ともいい、陸から海へ吹き出す 爽やかな風)をフルに利用できて、朝凪までにかなり沖まで走れるし、誰もいない休日の朝凪の 中で、静かに昼寝してもよい。ただし,それは突風が忍び寄るときに、寝ていても殺気を感じて起き上がるような、野性が働くレベルに成長してからやることなのだ。
私がその修行をしていた1930 年代、毎日曜日に、私は、真紅のA級ディンギーを駆って、必ず早朝から品川を出港して、江戸前の海へ出ていた。その頃の私を、浦安の漁師さんは、「また 海のダニが、海にしがみついているぞ」と言って、あきれていたという話を、40 年も経ってか ら、浦安のヨットマンから聞いた。

早朝出港の第2の理由は、早朝の新鮮な空気と、海面を水平に通過する太陽の光と、そして朝の霞と雲の様子が、その1日と翌日の気象を最も鋭敏に暗示してくれるからである。
例えば、1950 年頃の伊豆大島・波浮港の東側の宿屋に、漁師上がりのオジンがいて、関東で 指折りのお天気予測の名人だった。だから私は3日も泊まり込んで、その名人芸を賞賛しては講釈を聞き出した。その講釈の中から「早朝の占い」を紹介すると・・・
「俺は、周囲を山で囲まれた波浮港の、この座敷に座ったままでも、お天気占いができるよ!! それにはまず、朝は早起きだ!! そして三原山を見ている。すると日の出の第一発の一閃が三原山を照らすのだ。その瞬間に、何合目まで照らしたか? その色は紅か薄紅か橙々か黄色か? そして光は透明光か不透明光か? 空の色は? 三原山の雲は? それだけ読めば、東の海へ出 ている時と同じに東の空が見えるのだ!! 霞の濃さと高さ、雲の様子と太陽の色、そして、太陽 が水面から出るか? 雲から出るか? それとも霞の中に見えるのか? ・・・その違いで、気温 と水温の様子も、風の流れも、すべて判ってくるので、その日の天気だけでなく、翌日まで手に とるように見えるのだ!!」
という話だった。

夕方の日暮れの海も、私共に多くのことを教えてくれる。例えば・・・
1964 年、東京オリンピックのヨットレースが江の島で始まる直前に、私が最大の興味を持っ たのは「先進諸外国の一流ヨットマンと、後進国日本の一流ヨットマンはどんな点が違うのか?」 という点だった。
その時に発見した色々な違いの中から、夕暮れの部を紹介すると、フネを片づけると、日本選手は早々と宿舎へ引き上げるのだが、諸外国選手は、海に面した擁壁にしがみついて、日没の海 から眼を離さずに真っ暗になるまで海を見詰めていた。それも1人や2人でなく、何十人も一列 に並んで、一言も発せず、身動きもせずに海に魂を奪われていた。
彼らはおそらく、水面の色と艶を見て、風ムラと潮ムラを見抜き、それが移動する動向から、 水面下の水の動きから、水面上空の気流に到るまでを、すべて見抜くことに苦闘していたに違い ない。「こんな素晴らしい勉強に没頭する人々の中に、日本選手が1人でもいたら・・・」という 期待で、私は1人1人の横顔を見て廻ったが、残念ながら、1人もいなかった。その時に私が予 感した「負けたな!!」という思いは、不幸にして的中して、レース結果は惨敗だった。
海で学ぶべき時刻は、早朝と日暮れだけではない。その間に、少なくとも2~3回は風が替わる。また少なくとも1回は潮流が替わる。

その替わり目のプロセスは、自動車の方向転換のように単純ではなくて、風も潮も立体的な壮 大なドラマを見せてくれる。
ともあれ、小舟で海上にいて、色々な目に会っても生き残るための第一条件は、「運の良さ」 であって、その運命の99%は気象・海象と無縁ではない。
――他船に轢き逃げや銃撃を受けるような人災でさえも、気象や海象と無縁ではあるまい――
だから、気象と海象の予測能力が「運の良さ」を選び取る条件なのだ。
ところが、気象・海象と運命をつなぐカラクリの糸は、コンピューター・プログラムのように ワンパターンではないし、明快でもない。
その場面で最高に役立つのは、「虫が知らせる」という超能力なのだ。人間は、いうまでもな く生物なのだから、大昔は虫と同列の直感力を持っていたに違いない。けれど色々と便利な道具 を持ち,良い服装と良い住居に慣れ、危険を感じない時間を持ち過ぎたので、超能力の必要さえ 感じないで育ち、何世代も何世代も、平和に馴れて超能力を失い続けた。

だから、小舟で、1 人で、海上で長時間、という危険な状況に身を置くことで、「危険が間近に迫って来る!!」という実感の重圧で、超能力の必要を呼び醒ますことが必要なのだ。
もしも自然観察だけが目的ならば、バード・ウォッチングのスタイルで、雨からも風からも保護されたシェルターの陰から、望遠鏡で見ている方が賢い。・・・と読者諸兄姉は思うだろう。 けれど必要なのは、見ることだけではなくて、
● 身に危険を感じること。
● セールという巨大な触角で、大気の流れを触感として感じ続けること。
その2つが、自然観察と同等に必要なのだ。そこで私は、やはり胸の羽毛を風に震わせながら、 幼い翼を広げたり閉じたりしながら、恐れと驚きの目を輝かせる海猫や海鵜の、幼鳥の姿を思わずにはいられないのだ。近い内に、親達は自分等に構わずに、旅立って行く。そして残された自分も、全力を振り絞って後を追うつもりだ。けれどハグレた時は・・・という、命賭けの人生航路 が広がりつつあることを、切実に感じるために、この練習法があった。

その長時間帆走を、500 時間もやる頃から、風見も風向計も風力計もいらなくなる。首筋の触感だけでも充分だし、セールという巨大な触角が働いていれば、さらに的確さが加わる。また、 その風が、2時間後には・・・6時間後には・・・と、手にとるように予測でき、それが恐ろしいほ ど当たるには、1000 時間の修行が必要かもしれない。けれど、そうなれば、潮流や天候の予測 も手の中にあるので、2時間後、6時間後に「このフネが、どんな目に会うのか?」手の平を見 るように、見えるのだから、逃げ出すタイミングから手順まで、的確に計画できる。
だから、いつも運命を選べるのだ。
その超能カヘのアプローチが、「長時間帆走」という練習法なのである。
次号から、艇の選択・操船法など、などの実技指導を始めよう。
(つづく)

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