青木洋のヨットと坐禅

青木洋のヨットと坐禅

慈眼院月例坐禅会


慈眼院坐禅会


  • 日時:毎月1回土曜日18:30時から約2時間



  • 場所:慈眼院本堂 〒598-0021大阪府泉佐野市日根野626 



  • 参加費:500円



  • 多人数でのご参加以外は、予約は不要です。



  • 次回開催日:2026年6月20日(土)(次月の予定は当日以降に決まります)


 

 

坐禅は仏教、キリスト教、イスラームで行われている阿字観、瞑想、メディテーション、マインドフルネスなどと同じ瞑想の1種です。

坐禅は3大宗教が始まる以前から行われていたことが分かってきました。約3600年前のモヘンジョダロ遺跡から坐禅を表わした印章が発掘されています。

現代は過大な情報と巨大なストレスに溢れています。
坐禅はストレスの中で冷静な自分自身を保ち、適格な判断を下さねばならない時に役立ちます。

 

 

個人の深層を縦に切る
個人の内面を横に切る
個人を取り巻く外面



10/09 白隠禅師坐禅和讃を読む(7) 担当 長野利法

本文     況(いわん)や自ら回向(えこう)して 直(じき)に自性(じしょう)を証(しょう)すれば 自性(じしょう)即ち無性(むしょう)にて 既に戯論(けろん)を離れたり 意訳 ましてや自ら修行して    本来の自分が分かれば 迷いや不安などはなく それはもう、すでに煩悩から離れたのだ (臨済宗大光山宝徳寺のHPより引用) 用語の意味 況や・・・・言うまでもなく。まして。 回向・・・・梵語パリナーマナーの漢訳。廻らし向かえる。自分の修めた功徳を他に回し向ける意。また一般には死者への供養や寺への寄進をさす。ここでは「自ら」をうけて、外に向かっている心の目を自分のほうへ向け、深く内省すること。 回向返照 直に・・・・直接。じかに。 すぐに。間もなく。 自性・・・・梵語スヴァバーヴァの漢訳。そのものが本来備えている真の性質。本質。本性。 証する(証ずる)・・証明する。保証する。 悟る。 無性・・・・「無自性」の略で、実体のないこと。全く個性のないこと。 「無仏性」(仏性のないもの) の略を言うこともある。 戯論・・・・梵語プラパンチャの漢訳。戯れにする議論。無益な言論        一切の法は空である。一切の法は戯論なし。本性空寂にして言語を離れるが故に。(理趣経) 担当者解釈 (前段で大乗の坐禅の功徳をさまざまに述べたが)まして、実際に坐禅を続けて自己の内面を深く見つめ いざ自己の真実の本性を悟ってみると その本性は、実体の全くない空であり、また自我の全くない仏心であり、二元対立を超えた絶対心であり、有無を超越した無でもあって それはもはやどのような言葉でも説明できないものであることに気付くだろう 又は(前段で言う坐禅の功徳などはすべて空論に過ぎないことに気付くだろう)

白隠禅師坐禅和賛H. 22. 09. 04 宮本 實

白隠禅師坐禅和賛

辱なくも此の法を 一たび耳にふるる時
讃歎随喜する人は 福を得る事限りなし
況や自ら回向して 直に自性を証ずれば
自性即ち無性にて 既に戯論を離れたり

回向 : 自分の修めた善行や功徳をすべての人々のために振り向けること
自性 : そのものが本来備えている真の性質、本性
無性 : 無自性の略、空、実体のないこと

有難い事に、この法(おしえ)を 一度でも耳にする時
深く信じ讃え喜ぶ人は 必ず幸福を手に入れるでしょう
ましてや自ら修行し省みて 自分の心の正体を知るなら
それは無自性・空なので もう、既に無意味な論理を離れている

白隠禅師「坐禅和讃」を読む 8/21 担当花本

一座の功をなす人も   

積みし無量の罪ほろぶ    

悪趣何処にありぬべき

浄土即ち遠からず

一座・・・一人座る(座禅)事。    

功・・・・修行の効果。念仏の功。

も・・・・もまた。

無量・・・数的、量的、空間的に無限。仏    

罪・・・・悪。苦。宗教的に非難される行為。善男善女から非難される行為

ほろぶ・・絶えてなくなる 

悪趣・・・悪い所。悪行の結果として受ける生存の状態。迷いの世界。

  苦しみの生存。

浄土・・・煩悩の穢れを離れた清らかな世界。仏のおられる世界。極楽。仏 

               (・・・仏教語大辞典    古・・・古語辞典)

一人静かに座禅を組み、その修行の効果があらわれた人もまた、

今まで重ねてきた数多くの悪い行為や、(人生の)苦労が消え果ててしまう。

悪行や心の迷い、苦労などはどこにもないはずである。

言いかえれば仏のおられる清らかな世界は(自分自身の)すぐそばにある。

                              (花本 訳)

ひととき、心をおちつけて静かに座った人は

悩みごとなど実はなかったんだ、と気付くのです。

悪い出来事など一体どこにあるというのでしょう。

極楽は今ここにあるのです。

                 (臨済宗妙心寺派 松尾山 聖福寺 HPより)

 

4.白隠禅師「坐禅和讃」を読む 7/10 担当松田

夫れ摩訶衍禅定は                   大乗の禅は

称嘆するに余りあり                       いくら称嘆してもしきれないほどだ。

布施や持戒諸波羅蜜            他人への施しや自分自身への戒め

念仏懺悔修行等                         念仏や懺悔、他力の信心、自力の修行等

其の品多き諸善行             数々の善行があるが

皆この中に帰するなり           それらは皆「禅定」の中に包括される。

<用語解説>

摩訶衍       大乗(Mahā〈偉大な〉yāna〈乗り物〉)という語は、『般若経』で初めて見られ、摩訶衍(まかえん)と音写された。大きい乗り物→大きい教え。

禅定  心を統一して瞑想し、真理を観察すること。またそれによって心身ともに動揺することがなくなった、安定した状態を指す。坐禅。

大乗仏教 伝統的に、ユーラシア大陸の中央部から東部にかけて信仰されてきた仏教の分派のひとつ。自身の成仏を求めるにあたって、まず苦の中にある全ての生き物たち(一切衆生)を救いたいという心、つまり大乗の観点で限定された菩提心菩提(悟り)を強く求める心のこと)を起こすことを条件とし、この「利他行(自分の解脱よりも他者の救済を優先すること)」の精神を大乗仏教と部派仏教とを区別する指標としている。  

持戒  戒を守ること。仏教において守らなければならない道徳規範や規則を守ること。

諸波羅蜜 諸々の波羅蜜。 彼岸(覚り)に到る行と解するのが通例である。玄奘以降の新訳では波羅蜜多(はらみた)は、仏教における菩薩仏教において成仏を求める(如来に成ろうとする)修行者)の基本的な実践徳目である。六波羅蜜(ろくはらみつ)とは、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧のこと。「六度(ろくど)」とも呼ばれる。菩薩は、この六つの波羅蜜行の徳を蓄積して、遠い未来の生において一切智の正等覚者として無師独悟するといわれている。

※臨済宗 大光山 宝徳寺、ウィキペディア 参照

私の見解(松田)