「野本謙作先生の見事なシーマンシップ・一枚の写真から」

青木ヨットスクール校長 青木洋

事故の様子が新聞で報道された。7月21日付けの朝日新聞である。もやいロープが解けた。流れていく艇を追って、飛び込んで溺死されたとのことである。
そんなはずがない。そんな不名誉な最後であるはずがない。艇が流れるくらいのアクシデントで狼狽されるほど、先生のシーマンシップは、やわではない。
先生とは25年前、舵誌上での公開論争を戦った相手である。ヨットの安全性に対しては、私とは対照的な立場ではあるが、知識と経験の両方から見事に攻められてしまった。だからこそ私は、このような報道には満足できない。

先生の業績や人となりについては、ふさわしい方に追悼をお譲りし、私はプロとして先生のシーマンシップに注目したい。
そこでまず、直前に「春一番2」を見守っていた知人から、事情を詳しく聞いてみた。
そしてちょうどここに事故の起こる10分前に撮った、「春一番2」の写真がある。この一枚の写真からも、先生の見事なシーマンシップが見て取れる。


今回の帆走着岸の手順

1.こちらを向いておられる野本先生に、笑顔が見られない。いつもは笑顔がこぼれているのに。
2.さぞかしお疲れであったろう。お一人で午前と午後の4回にわたって、子供たちを乗せてセーリングしていたのだから。
3.15ノットくらいの南西の風をうけ、クオーターリーでセーリングしている。
4.セールはジブをジブファーラーに巻き込み、最小限の面積にしたヤンキージブだけでセーリングしている。
5.これは風を逃がせない着岸方法をとるため、あらかじめ減速しておくためである。
6.着岸予定のバースは岸壁がまじかに迫っているので、艇をジャイブして風上へ向け、停止させることができないのである。
7.左舷ミジップに集中させて、フェンダーを4本吊ってある。
8.これは左舷付けに備えて、あらかじめフェンダーの用意がしてあることを意味する。
9.バウに一端を結んだもやいロープが、左舷のスターンへ延長してある。
10.これは1番もやいをポンツーンのクリートへ結んだ後すぐに、この2番もやいをクリートへ結ぶための用意である。
11.スターンに結んであるはずの1番もやいは、写真では見えにくいが、当然一端が手元に用意されているだろう。
12.ポンツーンへ着岸してまず取るべきもやいは、風上となるスターンラインである。
13.風上側をとらないと、艇が1回転しかねないからだ。先刻ご承知のことである。
14.いつものポンツーンへアプローチし、ジブを全て巻き込んでさらに減速する。
15.あとは行き足を減じつつ、ポンツーンへ横付け着岸する。
16.ゆっくりとミジップからスターンラインを手に持って、ポンツーンへおりる。
17.直ちにスターンの一番もやいを、ポンツーンのクリートへ結ぶ。
18.一番もやいさえ取れば、艇の行き足を殺せるので、風位がランニングとはいえ一安心である。
19.さらに用意してあったバウの二番もやいをクリートに結ぶ。
20.艇の上へ戻り、もやいロープの長さを適切に調整する。
21.着岸手順の終了

今回のシーマンシップとその評価

ではいったい、どのようなアクシデントが起こったのだろうか。今回の手順上で、最も時間的な余裕が乏しい箇所は、17だけである。行き足さえとめれば、あとは余裕を持って18へと進めるのだ。
ランニングで着岸するゆえに、行き足を殺すには腕力が必要となる。一人の腕力では「春一番2」の行き足をとめることはできない。従って先生は一番もやいをクリートにかけ、ロープの端部を手に持って、行き足を殺そうとブレーキをかけようとする。もしくはあらかじめボウラインノットで輪を作っておき、その輪をクリートにかけようとする。そのどちらか以外には、方法はない。
このときに予定外がおきたのではないだろうか。
おそらく行き足を止める前に、もやいロープの端部が手から離れたのではないだろうか。先生は午前からの体験セーリングのボランティアで、さぞかし疲れておられたに違いない。疲れれば、誰でもミスをする。さらにそんな時、「春一番2」の排水量を支えかねられたのであろう。「春一番2」は6.5トンと、他の31フィート艇に較べ約2倍の重量がある。それは惰性を止めるのに4倍の力が必要であることを意味する。
ロープが手を離れ、艇が無人のまま流れ出しても先生は冷静であった。脱いだ衣服が風で飛ばないように押さえ、ポンツーンから静かに泳ぎだしたのだ。
「春一番2」はこんなときに備えて、パーマネントのスイミングラダーを設置してある。泳ぎ着けば、艇の上へ登れるのだ。だがそのとき、泳ぎだした先生には思いもよらない体の異変が襲いかかったのであろう・・・。


セーリング出入港とシーマンシップ

今回の悲しい事故に対し、批判はいくらでも出てこよう。先生が提唱されているセーリング出入港に対しても、異論もあろう。漁船にぶつかって、漁師さんから怒られたこともあると聞く。
しかし以上の分析からは、最高度のシーマンシップが発揮されているのは明らかだ。単に酔狂で港内セーリングを楽しんでいるのではないことが、お分かりいただけたろう。
ではなぜ野本健作は、セーリング出入港にもこだわっていたのか。それはシーマンシップを実際に表現する必要性を、考えておられたからではないだろうか。30年前には、腕の覚えのあるセーラーはセーリング出入港も常識としていた。それに較べると、現在のベテランは、あまりにもシーマンシップのレベルが低い。そのかわりに迷信邪説と思い込みが蔓延している。

ヨット人口が減少していると、言われて久しい。将来のためにもっと青少年に、乗る機会を与えるべきだ。関係者からよく聞く。
ヨットは危険な乗り物ではなく、安全で楽しい点を強調すべきだという意見も多い。そのとおりであろう。しかし体験セーリングだけでは、普及のための深さが乏しいのではないだろうか。
かつてのヨット雑誌には、本物のヨット乗りが技術を論じ、戦わせていた。それに較べると、現在の雑誌や参考書の技術レベルは、相当低下しているのではないだろうか。
関根久、土井悦、横山晃、渡辺修二、野本謙作を初めとする戦後のヨット草創期の先達たちは、早くから精神主義の弊害に気づいていた。それがゆえにヨット専門誌上でも、熾烈な技術論を戦わせてきたのではないだろうか。残念な事に現在の専門誌上には、感情論ばかりが目に付く。これでは好き嫌いのレベルで自己満足しているだけである。これらの自称ベテランは、自己の経験の中で自己満足しているのではないだろうか。自己満足からは過信が生じる。そして親切にも、自説をビギナーへ教えようとする。それが蔓延する迷信邪説の基となっているのではないだろうか。

迷信邪説や風評に惑わされるビギナーは、実によく見かける。あのメーカーのヨットは、クルージングには向かない。重いヨットが丈夫でよい。軽いヨットは、嵐には耐えられない。ハリヤードやリーフラインをコクピットヘリードすれば、シングルハンドでも大丈夫だ。嵐のときは出て行かないから、荒天帆走なんか考える必要はない。
迷いを自覚しているビギナーは、まだ向上していく可能性もある。しかし取るに足らない自説に固執するようでは望みはない。つい2、3年前までは、メインシートもメインハリヤードも判別ができなかったのを忘れてしまったのだろうか。しかもビギナーの思い込みを、自分よりビギナーには遠慮なく吹聴するのだから、これでは迷信邪説の再生産ではないか。


広く奥深い世界へのいざない

ヨットには広く深い世界があるのに、それを知る前に自己満足の世界に閉じ込められてしまうことが大半だ。入り口だけで満足するには、あまりにもったいない。楽しければそれでよいのであるが、レベルの低下がひどく、そうとばかりは言っておれない状況である。
なぜ欧米では迷信邪説の再生産が起こりにくいのか。ヨットクラブがあるからである。クラブにはヨットのこと、海のことを知り尽くしたベテランが鎮座している。異説には論議に応じ、邪説はたちまち見破る。まるで禅の老師のような存在が、クラブには存在する。それでこそビギナーは奥深くまで導かれ、広い世界に目覚めることができるのではないか。
思えば私がヨットをはじめたときには、お手本としていた師匠が複数いた。今ビギナーの周辺には、自称ベテランばかりといっても過言ではない。これではいつまでたっても、ビギナーの成長はおぼつかないのではないだろうか。

関根久はすでに他界した。土井悦、横山晃、渡辺修二も、往年の刺激的な文章は見かけない。野本謙作は、2002年7月20日、ハーバーの中で溺死した。数少ない日本の宝ともいえる一人であった。お聞きしたいことが残っていたのに、残念でならない。
わたしはプロとして、スクールでヨットを教えている。しかしそれだけではなく、今後のためにインストラクター資格者を育成していこうと考えている。そのためにASA(American Sailing Association)のインストラクター・エバリュエーター資格を取得した。追悼のためにもトレーニングには手を抜かないつもりである。