カテゴリー: アジア内海

旧石器人たちが2万年も前に海を行き来していた?

友人の原木さんから、新たなメールが届いた。ヨーロッパから見た世界史は、今後どうなるのだろうか。古田武彦先生も、黒曜石の分布に注目しておられたのを思い出す。


今回の記事は、神津島の黒曜石と航海法についてです。外国の研究者たちにあざ笑われたそうです。『日本の片田舎の旧石器人たちが2万年も前に海を行き来した?あり得ない』って。
もっとも古い航海の記録はエーゲ海の1万年前だとされていましたから。

お役に立てば、幸いですが・・・・・
原木

 

 

キャプテン・クックの列聖に共感

友人の原木さんが、新聞書評の切抜きを送ってくれた。早速アマゾンで、中古本を注文した。スリランカ人の著者の怒りに共感したので早速下巻を注文した。。
Capt Cook

「アジア内海」の大航海時代を担った帆船の航海技術

昨年から沖縄で行ってきた調査結果が、名古屋市立大学22世紀研究所から公開された。

論文のタイトルは「アジア内海」の大航海時代を担った帆船の航海技術 です。日本は農業国と考えられてきたが、実は中世からすでに貿易国であった。ヨーロッパの大航海時代以前から、アジア内海では貿易に使われていた帆船の航海技術が、すでに確立されていたのではないか。琉球王国時代の絵図を読み解く調査を通じて、次第に明らかとなってきました。

以下のリンクからダウンロードできますので、ぜひご覧ください。

日本語版
英語版
名古屋市立大学22世紀研究所
http://www.nagoya-cu.ac.jp/2315.htm

asia-inland-sea

ベトナムの古い港町ホイアンへ・1

お正月休みを利用して、ベトナム中部の古い港町であるホイアンを訪ねた。旧市街が世界遺産に登録されて以来、ホイアンは観光地としても名高い。
ホイアンはホーチミンやハノイと同じく、デルタ地帯の河口に形成された港町だ。江戸時代初期には、日本との御朱印船による交易港の一つとして栄えた。当時は日本人町が形成され、600人くらいが住んでいたという。中華街との間に架けられた、日本橋と呼ばれる木造橋が現在も残っている。博物館には日本からもたらされた染付が、多数展示されている。ホイアンから輸出された陶磁器は、焼き締め陶も磁器も安南と呼ばれ茶器として使われた。当時の安南茶器は、現在でも数多く日本に残っている。
遊び半分で博物館を見て回る。ハンネラの水差しも無造作に展示している。
次の日は小型船をチャーターして、河口まで連れていってもらうことにした。シングルプランキングの木造艇だ。エンジンは横型のディーゼルだ。クランクを手動で回せば、一発でかかる。デルタの河口は日本の河川とは水流が全く異なる。川の流れはないかのごとくだ。むしろ潮汐による潮流の影響のほうが強い。上げ潮流を避けるためか、小型船は本流を避けて、脇の水路を4ノットほどで河口へ向けて下っていく。建設中の河口を跨ぐ巨大な橋を越えると、うねりが入ってきだした。ホイアンへの目印である灯台が河口の洲の中ほどに見える。
「もう戻っていいですか」
「はい、戻ってください。ところでここの水深は何メートルですか」
「3mです」
帰途は川の本流を走る。御朱印船の人達と同じ気分になってくる。外海から河口へ入った途端に波はなくなる。当時も入港は嬉しい瞬間だったことだろう。
「ここは何メートルですか」
「2mです」
そのうちホイアンをヨットで訪れることになるだろう。往復3時間かかった。チャーター料は3500円だった。

沖縄県立博物館から戻る

7月9日から12日にかけて、沖縄県立博物館・美術館と浦添市美術館へ調査に行く。沖縄の船舶古絵図を調査するためだ。
関西空港からの沖縄便は、台風接近ですごく揺れる。ヨットがヒールするより、遙かに恐ろしい。那覇空港からレンタカーで、博物館へ直行する。牧野さん、崎山さんはすでに到着して、待っていてくれた。学芸員の園原さんが立ち会ってくれて、早速「進貢船の図」を熟覧する。ヨット乗りが二人一組で記録していくので、調査は以外にはかどる。

二日目は、首里那覇港図屏風の調査だ。展示中の原本を見せてもらった後、パソコンで詳しく調べる。掲載されている進貢船を初め、サバニなど70隻近くを全て調べてカード化した。皆へとへとになり、懇親会場の「ままや」へ向かう。懇親会には崎山さんの友人である、泰山さんが来て下さり、お話を伺う。冷静な歴史認識に裏付けられた「沖縄協議離婚論」は、迫力がある。古酒を2,3倍飲んで、解散する。

三日目の調査は、浦添市美術館の「琉球交易図屏風」だ。今日は西野さんが合流してくれた。西野さん、牧野さんは信天翁24で、本土から沖縄へ航海したヨット乗りだ。二人とも、ヨットは糸満へ置いている。
浦添市美術館の学芸員、當山さんの立ち会いの下、無事調査を終える。その後に、美術館で開催していた宮城清漆芸展に立ち寄る。螺鈿の制作から作品の全ての工程を、独力で完成させた技術者だ。生涯を掛けた探究心に、頭が下がる。皆と別れてから、また美術館へ戻る。宮城さんが居たので、螺鈿の香合を注文した。

四日目は飛行機の出発にまだ時間があったので、知念、奥武島をまわり、「淡すい」で沖縄そばを食べる。店はプレハブ小屋だが、すばはスープがあっさりしていて、うまい。