ディンギーで伊豆諸島をクルージング

ヨット巡航雑感
筆者:富塚 清 東京帝国大学教授・工学博士 (月刊舵誌1942年3月号)

筆者はヨット乗りの玄人でも、構造の研究家でもない。只の「下手の横好き」にすぎないものである。芯から好きと云う点では、或いは人後に落ちない方であるかもしれないが、「やる事が偏って居て、レースなどには一向に興味がなく、専ら単独の遠出をたのしんで居る。その経験を人にしゃべったり雑誌や本に数回書いたりしたところ海を知らぬ大方の人からは「随分べらぼうな事をする」と大変な非難を被った。又、経験家の方々でも自分のじっこんでない方々の中に「あぶなくって見ちゃ居れない」とか、「あれが盲目、蛇におじずと云う奴で、今に行方不明位になるから見て居ろ」なんかと悪口をたたいてらっしゃるものが相当ある様子で、それが、廻り廻って自分の耳にもちょいちょい這入る。

で、しゃべるのは少し慎まうかと思って居たところ、今回、はからずも情報局の佐藤海軍大佐から「舵」誌へ経験談を書いてくれと頼まれた。何に見所があってさう云はれるのか、よく伺っては居ないが、察するところ、海の専門家に期待出来ない或る種の宣伝価値を見出して居らっしゃるからであらう。考へて見ると、オランダやイギリスが嘗て、海国として発展した際にも、その先駆者としては海賊だの向こふ見ずの探検家だのが働いたことを見逃すことは出来ない。彼らは上品でも組織的でもないが、一般人の頭に、海への関心を植えつけた功績は大変なものであると思はれる。日本も今や、南へ海へと一般人の関心を高めねばならぬ時だ。自分等のやっていることは、そのスケールにおいては、まるでお話しにならないが、今日のところ、日本人の一般常識からは若干桁が外れて居るらしいからそれが若干魅力になり得るかも知れない。尚、海への熱愛についてだけは、イギリスやオランダなどの先駆者達に対してだって、あえてひけはとらぬつもりで、その物は専門家の場合よりも自分等の稚拙なるやり口の中に却ってあらはに、見出されるかも知れないとも思ふ。

こんなところに一つの取り柄があるかと感じて、おすすめに従ふことにする。若し初心者を誤りに導く様な、間違ひがあったら専門家の方々において然るべく訂正を乞ふ。


素人の方でも、筆者のやり方をべらぼうだと思ふ。
ときには、大抵こんな事を思ひ浮かべるのだと思ふ。それは「けちな小舟で、大した腕もない癖に海流や波のつよい遠くの方まで五十づら下げた奴が、自己の地位や職責を忘れ、危険を冒し、何の酔狂で、たった一人で、然も、何日がかりなんかで、夜昼の見さかひもなく、乗り出すか」と云ふ様なことだ。

自分もかう箇条書きにして見ると、はっきり答弁の出来ないところもないではない。「何の酔狂で」なんかと云ふ点がそれだが、他の点に関しては、自分にだって若干の反省と自覚とがある。他からは全くの無謀に思はれても、之でも技術者のはしくれだ。
全くの無計算、無用意にやって居るわけではないから、之には逐条自分の感想を申し上げて見ることにしよう。さうしたら、玄人の想像に反して自分の死なないわけ、そして益々溺愛に陥って行くわけを最も手っとり早く理解して頂けると思ふ。


第一の「けちな小舟」と云ふ批評は、或る程度御尤もである。寸法、形式、製作者、経費等の点では、こちらも全く同感だ。なぜなら、自分のは、全長僅か二十二尺幅七尺の何の特徴もないセンター・ボード型。然も計量は名もなき自分と逗子の貸しヨット屋の主人鈴木老。制作は、葉山の船大工矢嶋君。そして昭和十二年秋であるとは云ひながら、総費用は八百円位で出来た品物であるからだ。然もマストは日本杉製の不細工なもの。帆はお古でつぎはぎだらけ、しみだらけのものと来て居る。スマートなディ―プ・キール・ヨットの上あたりから之を眺められたら貧弱に思はれるのに無理はない。

然し、見かけによらず、之でやれるのは、外観とかスピードとかを問題にせず、専ら一人乗り巡航の利便や安全性を目指して設計してあるからだと思ふ。
之を設計する時頭においた条件は、A)どんな外洋にも出られること、B)浅い浜につけられること、C)軟風の時のスピードはどうでもよいが烈風の時に楽なこと、D)スプラッシュをかぶらぬこと、E)単独で楽に操縦できること、F)ニ~三人位は中で寝られるだけの屋根をもつこと等であった。
B)の条件から、必然、センター・ボード型が選ばれた。之ならどんな浅瀬にもつけられ、はしけの助けを借りずに乗り降り出来、実に気軽である。港湾設備の乏しい日本の海岸の風光をさぐってあるくには之が好適である。暗礁だの大謀網にのり上げた時でも、之ならばあとから上げて間に合ふ。又、大しけを食って近所によい避難港がなくせっぱつまったと云ふ時にも、之なら、船体をすてる気になりさへすれば、海岸にのし上げて先ず人間だけは助かれるだらうとも思はれる。さう云う時の用意に救命帯を備へてある。(然し、之程の必要は今日迄には起こって居ない。)

センター・ボードと舵との構造や強度にはうんと注意を払った。之はむしろ頑丈すぎる位にしてあるから、どんな荒れを食ってもびくともしない。目方、センター・ボードが約ニ百キロ、舵が、約四十キロ、厚さは双方共約十三ミリ程ある。暗礁などへひどくぶっつけ、舟がとび上がる位になった事もあるが、少しも曲がったりはしない。双方共亜鉛鍍金である。

センター・ボードの箱の内面は、虫に食はれ易くて困るところだから、そこには銅の板を張ってある。(あとで気がついたのであるが、銅張りはセンター・ボードの亜鉛鍍金のためには悪かった様だ。亜鉛鉄板の方が恐らくよかったであらう。)センター・ボードの上げ下げにはかなり勢力を要するので、はじめは中々よい工夫がなくて、弱ったが、今では多重滑車を使ひ力を八倍に拡大し、後方座席に座ったまま楽に操作出来る様にしてある。

A)の条件から、舟の幅は割合広くなった。デッキは大して広い方でもないが、殆ど九十度傾けても、尚水は入らない。その際の復元力は充分ある。尚舟のすわり程度は、舟べりを人があるいても殆ど傾きを感じない位である。十四、五才位の子供を約二十人程デッキに乗せて見たこともあるが、それでも、少しもあぶな気はなかったから、一人で乗るとしては積載力に相当の余裕があるものと考へられる。

C)の条件から、マストを短くすることになった。目下のものは全長僅か九米しかない。自分としてはもう一・五米倍長くして微風の時のスピードを上げたかったのであるが、鈴木老人からとめられた。彼は云ふ、「あなたは寒中に乗るから短い方がよいですぜ。ひどい荒れを食ったときには、マストの先きの方をぶった切りたい位の気持ちになりますからね」とやって見るとなる程本当だ。恰好は悪いが安全性にはかへられないからそのままに今日に及んで居る。但し帆が小さくとも一人乗りだと荷が軽いので、すべりは思ったほど悪くはない。

帆の短縮装置は、帆桁に巻きつける式だが、そのとめは四角の棒を同形のほぞ穴にさす式だ。之は単純で、仕事が早いし、殊に座席のところで居たままでうごかせるので、一人でやるにはもって来いだ。自分の位の帆の場合には、ウオームよりも有利だと思ふ。風波の中で巻き上げるのは一人の時には中々きわどい芸当だが、今までは大抵うまく行って居る。

スプラッシュをかぶらなくするために、日本の巡洋艦の舳部の形を模倣して見た。ほんの一寸の形の模倣にすぎないが、之は断然うまく行ったと思ふ。大抵波の悪い時、風上に遡っても操縦席では勿論の事マストの下あたりでも大したしぶきをかぶらない。

次に注意したのは、マストの直下の辺りに充分の浮力をもたしたことである。之も割合よく行って居ると見え、どんな強い追い風で走っても、舳部を波につき込むなんて事は絶無である。

E)の単独操縦の条件は「如何なる悪条件の場合にも満足」とは云ひ難い。方向安定性は割合よいので、軟風の時ならば、全く放りぱなしが利く。之を利して休んだり、他の仕事をしたり出来て便利なのだが、荒れて来ると操縦は中々生易しいものではない。一番こたへるのは、出港と入港との際だ。忙しい上に力が要る。一番えらいのは風のびゅうびゅう云ふときオールで動かさうとした場合だ、舟が小さい様でもマストに当たる風の力は中々強くて自由にはならない。さう云ふ時には頑丈な乗手が三人位揃はないと充分でない気がする。自分などは、さう云う時にも死力をつくして何とかやり切るが、脛にはきずだらけ、手には豆だらけ、と云ふことになる。だから単独操縦には之位の大きさが自分等にはせい一杯と云うことになる。大体その見当だらうと思って舟の大きさを定めたんだが、之は当たって居た様だ。

凌波性については之位で差し支えなささうだが次には居住性が問題になる。夏の日に三人で一週間、一人で半月位の旅ならば先づこの大きさでも忍べないことはなささうだ。煮炊きもやらうと思へばやる場所はある。だが、数倍の期間乗るのであったら、之では少し窮屈に失すると思ふ。その場合には全長十米、幅三米位が程ではないかという気がする。但しかうすると一人漕ぎでは中々自由にならないから、補助機関が欲しくなりさうだ。
さて之だけ云っても、まだ大舟に乗りつけて居る人はあぶながる気持ちをのけきれないかも知れない。

然し一度乗って呉れればすぐ判る。大きなディープ・キール・ヨットよりも却ってずっと楽な位なのだ。第一、後者などの如き重重しく水に抵抗すると云ふことを、之はしない。波に順応して行くから、波をかぶらず、激突が少ない。又、追手にした場合でも、後方からスプラッシュをかぶることは絶無と云ってよい。尚風が強くとも帆を一寸下げさへすれば索具に大した力はかからず、手ごたへも軽いから、一人で楽に荒波を凌いで行けるのである。

素人の中には、荒れの時、小舟が波頭に巻き込まれることを心配する向きが多い。然し、どうもこれは杞憂だと思ふ。遠浅の海岸のそれはたしかに始末におへないが、深海の波の波頭には、どうも今までの経験では自分等の舟を巻き込む程度の大きさにはならない様だ。但し無風の時にも白波の立つ様な潮の悪い場所が伊豆方面にはあるから、さふ云ふところで風の影響が重なったら、波頭は悪くなるかも知れない。然し、今のところ、未だそれで実地に困ったことはない。

大体こんな次第だから、舟がけちで小さくとも、設計さへ巡航向きにしておくなら、相当の遠くまで乗り出して、大抵間違ひはないと云ふことを諒解して戴けるだらう。


「たいした腕もない癖に」に対する弁明も大抵前のものと同じに片づく。なるほどレースをやる方から見られたら、我々の腕は未熟の限りだらう。帆の引き方も、方向転換の仕方も間がぬけて居るし、特にレース戦術がいけない。だからそれではびりになること請け合いだが、安全に荒海をのり切ることは、むしろこちらが上であるだらう。なぜならこちらの主着眼は安全に楽に長距離行くことだ。一寸の間の速度などは、問題ではない。スピード屋の様な無理はこちらには禁物だ。さうして常に内輪に内輪にとやるのが習慣となって居るから、道具をこわしたり突き込んだりの危険はずっと少ないのである。
自分は逗子に本拠を置き、時々伊豆七島や方面や、伊豆半島沖合の方を目指して出かける。ここは周知の如き波と潮流との名所だ。
「何もここまで行かなくったって……」と云ふ評言は或る程度本当である。自分だって何もはじめからしゃにむにそこへ行くつもりではなかった。始めは逗子から眞鶴位までのコースが大きな目標だったところが、一、ニ度それをやって見ると平凡すぎてつまらなくなってしまった。ところでそこから南を見るとすぐ鼻っ先に、大島、利島、新島が魅惑的に並んで見える。ついふらふらとそちらにへさきを向けてしまう事になるのである。だが、初島からさきに出るとたしかに相当の海流がある。その流れ方はかなり複雑で、潮目のところには、全く無風の時でも、うす気味悪い白波が立つ。風が強い時にはそこらここらに、ひどい三角波が立つ。一応はいやなところだが、さて之に一度いぢめられて見ると、それを克服して見たい欲望がふしぎに起こる。工夫していろいろやって見る。うまく行くと之が病みつきになり、ここに再々行くことになる。但し七島の間には三ノットだの四ノット半などと云ふ潮流があり、之はたしかにすごい。我々の舟では余程のよいスピードの時でないと乗り切れない。だが、之に負けたところで、海流は別に危険ではない。それは舟を岩にたたきつけると云ふ様な性質は持っているわけではないし、又ここのは大抵方向がよい。それは沖に向けないで本州の方に向いて居るからまかり間違ったって太平洋の眞中などに流される心配はない。「下手をすると金華山沖まで流される」などと云って自分の暴を難ずる人もある様だが、半月も一月も絶対の無風のつづくと云ふことは先づないから、それ迄にはどこかの陸につける。遠くとも三崎か房州か位には引っかかるだらう。尚夏陸地近くだと、風は昼なければ夜に必ずある。だから夜昼かまはず走るつもりなら、一日四、五十キロ走るには大抵事を欠かないのである。だから、十日間生きて居るだけの用意があれば、まあ大抵行方不明にならずにすむだらうと思って居る。

荒海と云ふものが思ひの外恐るべきものではないことは既述した通りだ。神子元島沖合あたりは之の名所だと思ふが、その辺まで自分等の舟で行っても、事実何も危害を感ずることはないのである。そこから更に百五十海里も沖に出ると、陸の影響が無くなり「太平」の名にふさわしい静かな海になると云ふから、若し気力と体力とがつづくなら我々の舟でその辺まで行って何等差し支へないと云ふことになるだらう。


「五十面下げて」だの「自己の地位や職責を忘れて」だの「危険を冒して」だのと云ふ評言にも、かなりの認識不足がある。大体ヨットと云ふものは武道だのスキーだのとは異なり、かなり悠々としたスポーツだ。特に巡航がさうだ。だから、年とって反応時が伸びた人間にも充分やれるし、或る場合にはその方が却って無難だと思はれる位だ。だから五十面どころか七十面、八十面でも、何等気恥ずかしがるには当たらない。自分等も今後益々之をやるつもりだ。

「職責を忘れた」だの「危険を冒して」だの云ふ非難だって自分は意に介しない。なぜなら、健康や不屈不撓の精神の滋養によって、充分お釣りが来ると思ふからだ。見方によっては陸上で美食をしたり酒を呑んだりして居る人の方が自分等よりも遥かに重責を忘れ、身を危険にさらして居るものだ。と云うのはそんな事して居ればいつ脳溢血で頓死するか判らないし、泥酔すれば階段から落ちたり溝にはまったりする危険もあるからだ。つまり小ヨットによる太平洋上の巡航よりも、多くの場合銀座裏の酒場あたりの巡航の方がずっとあぶないのだ。後者によって命を落とす人の多数が一向に問題とされず、一向死にさうにもない我々の方が危険がられ奇行家がられるのだから、世人の常識もかなり狂って居ると云ふものだ。