サバニ船型の誕生と特性

造波抵抗が極端に少なく、かつ動的復原力に優れている。波浪のなかでの操縦性とスピード性が高いので、クルージングの安全性に大きく寄与する。そして初心者の操縦にも素直に従い、ベテランには俊敏に応答する。その高い実力はサバニ船型をベースにしたから生まれた。世界ヨット設計史上に輝く成果を、Zen 24は受け継いでいる。サバニ船型は不世出のヨット設計者、横山晃が開発した独自の船体形状である。

サバニ船型について・・・・・・Zen 24設計者 横山 晃


サバニの原型は中国大陸と東南アジアの至る所に散見される独特の船型で、キール・プロフィールの前から2/3くらいの所が下方へ突出した形が特色で、造波抵抗が少なく、保針性(直進性を維持する性能)の良さも好評である。特に沖縄と東ドイツの湖沼地域には、きわめて優秀な性能と性格に到達した艇群が現存し、沖縄では「サバニ」、ドイツでは「ヨレ」と呼ばれるが、相互の連絡は全くない。

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日本のヨット界は1937年、3年後の東京オリンピックには日本特有のディンギー百数十隻を建造して世界各国から集まる選手たちに貸与し、そのレースを主催する予定で、その艇を設計する技術チームが日本ヨット協会で編成され、私もその一員に選ばれ、設計の仕事は何でも手がけた。船体構造は最高レベルの軽構造。船型はジャーマン・ヨレでも沖縄サバニでもヨーロッパ流でも、何でも取り入れた最新設計が進行し、急遽建造した試作艇は2艇種2隻ずつ、その4隻はジャーマン・ヨレなどの在来艇と共に日曜毎に艇団を組んで疾走した。テストパイロットには技術チームの全員が当たり、その日の夕食会には試作艇毎の講評が賑わった。
要約すればわたしの描いた試作艇はスピードに優れ、状況に対応するテンポも速いのだが、艇に特有の性格に乏しく、ジャズのように浮かれる傾向がある…という結論で、もう一段階の改良努力が要望された。やがて1938年の9月に入ると太平洋全域とアジア大陸の戦雲が俄に濃くなり、1940年東京オリンピックは中止。4隻の試作艇は台風の直撃で大破した。そのとき、私の肩書きは「造艇委員会チーフ・デザイナー!!」委員会の中で最も若年の私の前に膨大な図面や資料を積み上げて、委員達の全員は去った。

この時、私は「この戦争時代が終わるまでに、私は世界最速のヨットを創作しなければならない」と心に誓った。そのためには保針性の良い船型を創作すればよい。ナゼなら例の技術委員会の艇団トライアルの時に、雑多な艇団の中で先頭へ抜け出していくのは保針性の良い艇に決まっていて、坐禅に似た静かな走りの中では、当て舵をする回数の少ない事が前へ抜け出す第一条件だからである。
また、以前には保針性の良否はアベンデーヂ(センターボード、舵、スケグ)の働きだと考えられていたが、実際には「サバニ」や「ヨレ」などの良質の船型は目立って保針性が良いという現実の方が説得力があった。
この大切な時、私には仲間が無く、論議する場もなく試作艇を作る機会も無かった。ただ毎日の夜の時間を計算に取り組んだ。数字と方眼紙と大型計算尺で、「ヒールした時の復原性と保針性」を数値で追求していく作業が続いた。

やがて赤紙の召集令状が来て、兵士になり、兵営で暮らすようになっても夜は消灯時刻まで計算を続けた。兵士の仲間達は其の私に好意的だったし、兵士から除隊するチャンスの増減にも不利ではなかった。
1945年に戦争は終わり、私は軍用の木造艇を量産する会社の技師になっていた。その会社は徴用していた商家の若ダンナを終戦と同時に帰宅させ、戦争から帰った兵士を採用して工員にした。そして仕事は県庁から米軍部隊へ売り込む特需に変わった。この会社の場合は米軍の兵士達にスポーツ用のディンギーを大量に売り込んだのである。そして米軍の軍曹がサインすれば、支払いは日本の県庁から支払われるのである。
特に気仙沼工場の工場長は凄腕の(自動車の)セールスマンだった人で、ディンギー数十隻という特需を何回も受注した。そして私に、「とにかくカッコ良いヨットを設計して製造の総監督をやってくれ」と要求した。私は此の貴重なチャンスを、戦争中に計算した「保針性優秀なヨット」の試作・製造・試走に利用した。

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戦争中の計算の結論は、四角い「スコウ」は凌波性が悪くて失格。鋭い3角形の「クサビ形艇」は復原性能が悪くて失格。それに比べて「サバニ型」ならば凌波性も復原性も完成しているし、保針性も90㌫完成しているので、残り10㌫を特殊な手法で処理すれば完成に肉迫…という事が、解明されていた。だから戦後特需の時の試作と試走の結果は97㌫~99㌫の確率で完成に迫っていたのである。

1949年に設計発売したシーホース級は、今でも健在のクラス・ボートで、しかも世界最初の「サバニ船型のクラス艇」である。
それから40年、キールボートの保針性と凌波性の改良も進み、全く手放しのままで2時間以上も直進を続けることに成功した。その間に風向や風力の変化があっても総て自動修正が可能なのである。それに比べて諸外国のヨットは2,3分間の手放しが精一杯らしいのだ。